まこと幼稚園ブログ

2016.10.07

長岡京と共に 2

わたしの知っている知識によると長岡京は、8世紀に

藤原種継が計画し、結局彼の暗殺とともに終わった幻の都

というものでしたが、中塚良さんの話によると、実は平安京と対に考えらた

、その当時の道教や陰陽道の知識に支えられた都だったといいます。

交野山、愛宕山、寺戸川、大地の隆起など、多くの自然との対話の中で

祈りをもって支えられた都のようです。完成したら面白かったでしょうね。

日本のランドスケープも変わっていたか知れません。

さて、マナハウスに、あった朝堂院の西の壁。幅は、4メートルあったそうです。

DSCF8632

朝堂院の西側の壁があったそうです。幅4メートルの壁。

これは、ただ土を積んだものでなく、前も書きましたが、

木組みで枠を作り、そこへ土を入れて、上から叩いて

固めるのです。それも、湿気を調整するために、水分の含み方の

違う土で層ができるように石ながらするのです。機械はありません。

ただ、ただ、人力でやるのです。幅4メートルです。この壁が朝堂院を

囲むのです。その当時の最高の技術です。

その西壁の構造が今回の検査で分かったのです。今回の検査は、この

壁の構造を発掘するためですが、その際に見つかったものを前回書きました。この話を次に書きましょう。       園長

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